天竜の地で60年、天竜材と向き合ってきた丸志木材。 わたしたちのこれまでのあゆみと天竜への想いをお伝えします。
丸志木材のはじまり。
私たち丸志木材は静岡県の天竜区に本社・製材工場を置く木材会社です。そのはじまりは昭和28年、まだまだ林業が盛んで、国内の木がたくさん使われていた時代でした。一時は18.8%まで落ち込んだ日本の木材自給率ですが、その頃はなんと90%以上もあったのです。
昭和30年代の後半からは輸入木材の自由化などもあって国産材の需要はどんどん落ち込んでいき、丸志木材の近くにいくつかあった製材工場も少しずつ減ってしまいました。国内の林業が下降の道を辿る中、それでも天竜の林業者が森の手入れを怠らなかったおかげで、天竜の森は現在までずっと受け継がれてきたのです。
そうして守られてきた天竜の山と共に70年間、丸志木材も天竜を守る林業者としてあゆんできました。
最近になってようやく再生可能資源やCO2の吸収源として、環境を守るために森林の大切さが見直されてきています。国や自治体も環境保全に力を入れはじめ、たくさんの人が改めて国産材に目を向けはじめました。
わたしたち丸志木材も歴史ある天竜の森に関わる者としての責任を持ち、より多くの人に天竜材や国産材の良さをお届けできるよう全力を傾けていきます。
丸志木材は2023年で70周年!
よいときも、そうでないときも、自分たちの仕事に誇りを持ちながら、天竜材とともに70年を過ごしてきました。大工さんや工務店様、お施主様とのつながりが私たちを支えてくれています。これからもそのご期待に添えるよう、尽力してまいります。大量生産との違い。森を守る製材とは?
できる限り無駄なく、捨てるところのないようにカットします。
丸志木材は木の伐採からお客様へのお届けまで、全ての工程に一貫して携わっていますが、主な仕事は山で伐採された原木を、さまざまな住宅資材に加工する「製材」です。
山から切り出してきた原木が土台や梁、床材など、様々な木材に変わっていく様子は製材工場でしか見られません。
伐採された原木は皮を剥かれた後すぐに、「台車」と呼ばれる大きな製材機械である程度の大きさまでカットしていきます。この時、木の性格や特徴を見ながら、この木に最も適した木材は何か?ということを考えてあらかじめどういった部材になるかを決める「木取り」を行います。
私たちのモットーは一本の丸太をできる限り無駄なく使うこと。「木取り」の段階で、捨てる部分はほとんどありません。残った部分ですら、チップにしてボイラーの燃料などに使っています。
実は、大量生産型の製材工場では丸太の約半分は捨ててしまいます。手間をはぶいて数をこなすことでコストカットをしているのです。確かにそのほうが効率はいいかもしれません。
でも、丸志木材がそうしないのは、何十年もかけてその木を育てた人や育てられた木、ずっと向き合ってきた天竜の森や自然を大切に想い、産業廃棄物を出さないことで環境を守りたいと思っているからなのです。手間をかけてでも、皮以外ほとんど無駄がない製材、それが丸志木材の自慢と誇りです。
東京にも、丸志木材があります
昭和28年に静岡県の天竜ではじまった丸志木材ですが、昭和37年には木材販売卸として、東村山市に東京販売所を開業しました。地元浜松だけでなく東京近郊の人たちにも天竜材の良さを知っていただければ、きっともっと需要が広がるはずだと。
天竜材が住宅資材として優れていることは間違いなく、それに賛同してくださる工務店様や大工さんなどがいらっしゃるおかげで、丸志木材東京支店は現在も営業をつづけております。
その後、木材の販売だけでなく「木が好きな人のために、本物の天竜材で家を建てたい」という想いから、昭和55年に工務店「丸清」を設立しました。丸清があるからこそ、丸志木材は工務店様のお気持ちに寄り添うことができ、施主様の想いを身近に感じることができるのだと考えています。
製材工場の中をのぞいてみよう!
皆さんは製材工場という場所を知っていますか?
製材工場はその名のとおり、木材を製品へと加工する工場です。丸志木材では、山から運んできた丸太を自社の製材工場に運んで加工してから工務店様や大工さんにお届けしています。
右のスライドで、丸志木材の製材工場の中で一本の丸太がどんなふうに木材製品に変わっていくのかをご紹介しています。ぜひご覧ください!